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第6回 下水道れきし旅 ~古代から現代へ~

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ローマは一日にしてならず~ローマのまち発展の基礎は下水道~

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▲巨大下水道(クロアカ・マキシマ)
(「松籟は詩う」日本下水道管路維持管理業協会提供)

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▲フォロ・ロマーノ (左側斜面がカンピドリオの丘、右側建物は元老院)

紀元前8世紀頃、イタリア・ティベーレ川の東側にある七つの丘に、狼に育てられたと言われるロムレス とレムス兄弟に率いられたサビニ人が住み着いたことから、ローマは始まったとされています。そして、紀元前6世紀頃、七つの丘はすでに通商の重要な拠点になるまでに発展していました。経済的に力をつけた彼 らは周辺地域を武力で制圧して勢力圏を着々と拡大し、ローマは政治経済の中心となりました。そうなると、必然的に人口は増え、さらに外地から凱旋してくる将兵や連れて来られた奴隷などにより、七つの丘だけでは人口を吸収できなくなりました。そこで、彼らは丘の下に広 がるティベーレ川の氾濫源で ある低湿地帯に目をつけ、排水溝を造って土地を乾燥化さ せ市街地を造成しました。排水溝の中で最大のものはクロアカ・マキシマと呼ばれ、紀元前 616年~578年にかけてカンピドリオの丘の末端にあるフォロ・ロマーノ付近から ティベーレ川まで建設されました。内径で幅 3.2m、高さ4.2mもある大溝渠です。フォロ・ロマーノには元老院や神殿が建てられ、政治の中枢としての機能を担うことになりました。こうしてローマは市街地を拡大し、さらなる発展を遂げることに成功したのです。
人口が増えると必要になるのは水です。ローマ人は良質な水を得るために水道も整備しました。水道水は、郊外から開水路(アクアダクト)や水道橋などにより市内に引き込まれ、市民の生活を支えました。2世紀頃のローマの人口は 120万~150 万人でしたが、1日800~900リットル/ 人、つまり1人当たりでは現 在の東京の水道使用量以上の水が供給されていたことになります。
その後、彼らはクロアカ・マキシマの先端部をさらに延長し、枝線管路も整備して街全体に排水網を形 成していきました。これらの施設は単に雨水や地下水の排除に留まらず、道路の洗浄水、広場の泉、庭園の噴水や浴場からの排水にも使われるようになります。つまり本格的な下水道になったのです。ローマ人は土木技術の天才と言われておりますが、彼らは市街地の造成のみならず、街道やダム、水道橋など、現在でも使用されているインフラストラクチャ―(都市基盤施設)を 2000年以上も昔に整備したのです。
ローマは征服した地域を属国あるいは属州にし、総督を置いて統治させました。しかし、地方の反乱を防ぐために、軍隊の主力はローマに残し、いざという場合には、ローマに通じる街道から軍隊を素早く派 遣する体制を作りました。街道はいわば現在の高速道路です。したがって、ローマ帝国の中心はあくまでもローマであり、帝国の膨大な機能を維持するための人と場所の確保を可能にしたのが下水道であったと言えます。ローマ人はインフラストラクチャーの重要性をよく理解していた人々であったと思います。

(月水土楽人)

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