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第4回 下水道れきし旅~古代から現代へ~

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建物を支えた下水道 ~掘立柱と雨落溝~

写真:掘り出された掘立柱遺構

▲掘り出された掘立柱遺構

写真:飛鳥板葺宮の雨落溝

▲飛鳥板葺宮の雨落溝(遺跡保存の石を敷き詰めている。)

写真:伊勢神宮御稲御倉

▲代表的な掘立柱建築  伊勢神宮御稲御倉

弥生時代は、稲作技術が導入されて農業が定着し、人々は集落を作って定住するようになりました。そして、農耕が本格化すると、水や土地の所有権、余剰農産物をめぐって争乱が頻繁に起こりました。その後、弥生時代後半になると、軍事や食糧の増産により経済の発展に寄与した人々が一段と力をつけ、宗教的な権威を身につけて、豪族として認められるようになっていきます。こうして、社会体制がやがて国家に発展していく体裁が整えられ始め、古墳時代が幕を開けました。
豪族が台頭すると、彼らは自らの威容を誇示するために、競って豪族居館を建てるようになります。この建物は弥生時代の竪穴住居と異なり、柱・梁構造で、樹皮や草、板などで葺かれた屋根を有する住居です。この建物は掘立柱建築と言われる形式でした。地面を掘って柱を建て、その根元を固定し、柱の上部で梁と組み合わせて家を構築します。従来よりもはるかに大型の建築物を築造することが可能になりました。
家の芯となる柱は地中に固定されますが、主材である柱は木ですので、腐食に弱い環境にあります。当時、屋根には樋がありませんでした。そのため、雨水は屋根から直接地面に落下し地中に浸み込みます。すると、柱の基部は湿潤と乾燥を繰り返すことになり、腐食しやすくなってしまいます。そこで、屋根からの雨水を速やかに排除するため、大工たちは軒下に沿って「雨落溝」を作り、柱の基部を守るようにしたのです。
飛鳥時代になると、天皇の住む宮にはほとんど雨落溝が付帯し、寺院にも普及していきました。右の写真は皇極天皇の住居であった飛鳥板葺宮ですが、柱列に沿って、すなわち軒下沿いに雨落溝があったことが判ります。
神宮の建物は現在でも掘立柱で築造されており、20年毎に遷宮が行われます。遷宮を行う理由は、建物の構造上の理由や技術の継承など様々あるようですが、掘立柱の腐食による建物の耐用年数を考慮しているという説もかなり説得力があります。掘立柱の耐用年数は 30~40年と言われておりますが、やはり強度は徐々に失われていきます。
神様の住まわれる建物が、万が一歪んだり壊れたりすることは許されません。したがって、耐用年数を経る前に遷宮を行う、いわば危険になる前に新しいものに置き換えるという危機管理の思想が取り入れられていると考えられます。
雨落溝の末端は道路に沿って造られる排水溝に導かれるか、建物から離れた場所で地中に浸透させる構造になっています。建築形式の進歩に伴い、新しい下水道が考えられたと 言えるのです。

(月水土楽人)

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