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江戸下水道散歩 弐拾

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桜川という大下水

江戸川柳に『どぶ端に何のためだかどかり石〔誹風柳多留第一四七編〕』という句があります。絵をごらんください。『江戸名所図会』の「薮小路」の挿絵です。ここにも溝端に大きな石が置かれています。ホントに何のための石なのでしょう?

「どぶ」は、言わば江戸の町の「下水道」です。江戸の町では「溝」とか「下水」と言っていました。この絵にも通りの角に小さな竹藪が描かれていますが、この竹藪があったところから、この通りを「薮小路」と言っていたそうです。現在の港区虎ノ門一丁目10番と18番の間の道路に当たります。今はもちろん竹藪など無く、ごく普通の道路になっています。「この道路を昔は薮小路と言った」という説明板は建っていませんでした。

絵の石橋の下の水面に『桜川』と書かれています。江戸地誌の『御府内備考』によりますと、この「桜川」を、この付近の町では「下水」とか「大下水」と言っていたようです。

「桜川」は、江戸城の「外濠」から、現在の港区虎ノ門一丁目1番と西新橋一丁目6番の境辺りで分岐して、愛宕下へ流れ、この辺りで、四谷辺り(現・新宿区若葉一~三丁目)から赤坂へ出て、溜池の縁を流れて来た「赤坂大下水」が合流していました。その先は芝を流れ、途中で、二方に分かれ、一方は東へ折れて浜御殿(現・浜離宮庭園)の脇で芝の海へ入り、もう一方はそのまま少し南へ行って、東へ向かってから南へ鉤の手に曲がり、芝大門の前を流れて金杉川(現・古川)に流れ込み、末は芝の海へ流れ込んでいました。ですから、四谷・赤坂辺りの下水が芝の海へ出ていたことになります。

今も古川に架かる「将監橋」の北詰西側に公共下水道の「芝幹線」からの雨水吐口が見られますが、これなどは「桜川」が「金杉川」に合流していた名残と言えるでしょう。

途中から東の方へ別れた流れの跡は、これも公共下水道の「愛宕幹線」から分岐した「雨水管」となって、日本赤十字社の前を通り、《京浜国道》を横切り、JRの線路下の道路を通り、《産業道路》を横切り、下水道局汐留第二ポンプ所の脇で、雨水が浜離宮の南側の堀に流れ出るようになっています。この辺りは、江戸時代は海でした。

『江戸名所図会』より「薮小路」

【絵図説明】
石橋が架かっている川が「桜川」
「薮小路」の両側に石組の 「下水」が描かれている。
(『江戸名所図会』より「薮小路」)

下水道局汐留第二ポンプ所

「桜川」から分岐した流れが、今の浜離宮庭園の南側で芝の海へ流れ出ていた。右側の建物は、下水道局汐留第二ポンプ所。

栗田彰(くりたあきら)

1937年 東京生まれ
1998年 下水道局を定年退職

著書
『江戸の下水道』青蛙房 『江戸の川あるき』青蛙房
『江戸下水の町触集』日本下水文化研究会 『落語地誌』青蛙房

表紙

特集1 下水道管の再構築

特集2 下水道料金

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コラム アースくんと学ぶ!下水道のお仕事 Vol.4

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